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2 マレーシア
下山の後は ”からゆきさん”で有名なサンダカンへ向います。明治から大正にかけて、生活のために身を売られた海外売春婦の からゆきさんの史実が、ここサンダカンであったとは知りませんでした。山崎朋子の「サンダカン八番娼館」で日本人に知られる、とガイドブックにあるのですが・・・
サンダカンからバスで約40分、セピロック・オラウータン保護区にやって来ました。 日本語の説明板ですよ! 日本も援助しているのかな? 森の番人オラウータン。観光客を威嚇して とおせんぼ。 オラウータンって 穏かでいつもボーっとしているのかと思っていました。 なぜ セピロックに来たのか?と言えば・・・ キナバル空港に到着してバス停をキョロキョロ探していると”市内までタクシーをご一緒しませんか?”と声を掛ける日本人がいたのでした。聞くところによると、その人はスコットランドの大学院から森林の研究のためセピロックに長く滞在しているとのことで、マレー語もペラペラ、北大出身で北海道の山岳部に籍を置いていたとか。キナバル山も既に登頂済みらしくて、ならばと夕食をご一緒しながら、こちらの情報を教えて頂きました。別れ際に”滞在先のセピロックのスッタフの家に来ませんか?”とのお言葉にホイホイと住所を片手に ここまで来ました。 確かここの筈だが・・・ この家がそうでした。訳を話すと室内に上げてもらいました。スタッフのお姉さん夫婦の家族らしくて旦那はマスオさん。 招待して頂いた日本人も、ようやく森からスタッフ(現地のアシスタント)と共に帰って来ました。不安も解消され、計らずも一日ホームスティとなりました。左手前の女性が日本人の内田あゆほさんです。都会育ち(船橋出身)のお嬢さんがよくこんな所(失礼)で暮らせるものだと感心しました。部屋は2部屋で家具も無く,ここが多目的ルーム?で寝る時はザコ寝です。彼女曰く"南の国は四季がないから、洋服も夏用だけでタンスなんて要らないのよ” 突然お邪魔したのに、笑顔でのおもて成しに感激しました。決して金銭的に豊かといえないのに、みんな仲良く、生き生きと暮らしています。 ほんとに良い思い出を ありがとう(トウリマ カシ) 子供たちも人なつこい。 地酒のタパイ酒です。中央の糸から棒が下がるまで 飲むのが礼儀です。ストローで回し飲みします。 サンダカンの町をあゆほさんに案内して戴きました。 ミシンで破れた洋服も再生。ミシン屋のお兄さんも顔見知りとか・・・ セピロックはもとよりサンダカンでも道行く人が、ヘ~イ・アユと声を掛けます。日本の親善大使見たいな人ですね。
by wakarashi_55
| 2004-02-03 08:32
| 登山と旅
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